冬山でのアルバイトも終えてしばらくの間旅への用意。
自分自身どんな旅になるのかとても不安・・・用意した荷物は、
60k以上あるだろう・・・
これだけあるのだ。これをバイクに積みこんでの出発。
2001年3月26日
7時起床。今日から旅の始まりである。朝御飯を食べて用意をする
9時出発。今日はいい天気だ気温も高い
しかしバイクで走るとジャンパー着ててちょうどいいくらいだ
R2をひたすら西へ走る。交通量もさすがに多い。
前にも九州にいくとくにバイクで通った道なので
迷うことはない。ただ車多いので事故だけはね(^-^;
11時30分に徳山に着。
当初の予定では福岡からフェリーで沖縄へ行こうとしたのだが
満席で乗れないとの事なので
やむおえず鹿児島からのフェリーに乗る事にしたのだ。
なにせ1週間に1本しかない便なのだ
29日の18時発の鹿児島本港だそうだ。
だからそれまで九州路をいくことにした。ルートは決ってない。
徳山から国東半島へのフェリーにのり船の中でこれからのルートを思案
宮崎へむけて行きR10を南下するか・・・
結果、別府から阿蘇へぬけて高千穂を通りR10にでて鹿児島へ行こうと考える
今日は瀬の本高原のあたりげテントをはろうと考えた。
14時国東半島着。
R10を別府へむけて南下。
途中のローソンでオニギリくってから走りだす。
国東半島はちょっとさみしい感じのところだ。
いたるとこに空家になってるとこがある。
なにかのお店らしいのもある。廃墟になってる。
海のニオイがする。きれいなとこである
海水浴にはもってこいだね
別府の数キロ手前で渋滞にはまってしまった!!!
でもここはバイク。すり抜けだ。
しかし荷物が重いのであんまりムリはできない。
別府はさすがに温泉の街だ。独特な雰囲気がある。
別府で今日の晩御飯買おうとおもったのだがどこもホテルやそんなたぐいのものしかない。
中のほうへはいればスーパーあるかなぁとおもうのだが
なにせ別府の街の道は結構せまいのだ。
荷物満載のバイクにはちとつらい。
結局そのまま湯布院にはいってしまった。
なんとも寒い!!!ホントにもうすぐ4月になろうという季節なんだろうか
標高が高いのでひえるのだ。時刻も16時まわってしまっている
湯布院のスーパーで買物していく。
ホントならここでキャンプしてりゃよかったとあとになってみて
思う・・・・瀬の本まで走ってしまった。
さらに気温がぐんとさがり5度程度までさがってしまった。これは寒いのだ。
なんとも寒いので今日はYHへ泊まることにした。瀬の本YHがある。
YHの部類ではどうかなぁそんなにいい宿でもない。
宿にはまだこたつとストーブがある。。。九州なのに。。。
寒いとこなのねぇ
走行 210k。 使用金 10388円
3月27日火曜日
7時半起床。朝は冷える。高原。標高は1000M。九州もばかにできない。
同室になった人がYHをでる。これから東京へむけてバイクを走らすそうだ。
沖縄の宮古島からここまできたんだそうだ。
昨夜はこの人のいびきがスゴクなかなか眠れなかった(^-^;
とりあえず29日の18時が鹿児島からの船なのでまだゆっくり走れる。
急いでもしかたない。そんなわけで阿蘇へむけて出発。
ぶらぶらとバイクを走らす。ツーリングGOGOにのってる満願寺温泉というのがあるが
そこへよってみた。のちゃはお金ないので基本的に無料の風呂がいい。露天も好きだね
ここは素朴な温泉街・・・といってもホントに素朴で温泉街というべきなのだろうか・・・
なんにもないのだ。なんか30・40年前くらい前の写真の中の世界みたいだ。
おばあさんが籠を背中にしょってあるいてる。ほのぼのだ。
そこへ地元のおじいさんがカブにのってプペペペ〜と走ってる
なんともこれが目を疑う。(゚O゚;
荷台には2階くらいまでとどきそうなくらいの荷物つんでるのだ。
写真をとればよかったのだが
あいにく撮れなかった(^-^;
追いかけたのだが見失ってしまった。
あんなのは道路交通法違反だ!!
などと笑いながらひとり笑っていた。
しっかしあれでよく荷物がおちないもんだなぁ。。。(~ヘ〜)ウーン
街はとにかく名前は満願寺温泉。温泉というのだからよくいう
ようこそ!!!なーんてアーチがあって〜なんてもの・・・ではないのだここは
街でなく集落かな。そこへ川があってそのほとり(川ってもすげーちっちゃい)に
無料の露天がある。道からは当然丸見えなのだ。
ボーっとしばらくしてからさてさてバイクを走らす
満願寺の近くには有名な黒川温泉がある。ここは女性での人気が大変ある温泉なのだそうだ。
ここはさすがに満願寺とちがい宿もよく温泉だなぁという感じがする。
黒川温泉を通り杖立温泉にやってきた。こ子は結構な断崖絶壁の川のほとり。
両側にホテルが点在している。歴史も古いのだそうだ。
元湯というここの温泉の元があるのだがそれがここの温泉のはじまりなのだそうだ。
ちょっとぬるい
杖立温泉をでて阿蘇へ向かう。大観峰へいく。
ここではさすがにツーリングでの名所でバイク乗りがいっぱいだ
眺めは大変によい。天気予報よい聞くとどうも今夜は雨になるんだそうだ。
高千穂あたりで泊まろう。バイクを阿蘇の山を見ながら高千穂方面へ走る。
バイクにはまったく快適な道だ。
高千穂は神話で有名なところだ。有名なのが天照大神の天岩戸だ。大岩戸神社というのがある。
ここに有名な天岩戸があるのだ。ここが天岩戸かぁ。。とみてもただい岩である。。
ホントなのだろうか。。こんなどでかい岩うごかせる人がいるのかな。。。
などと不思議に思ったりする。
高千穂峡谷と街をみてまわって宿にもどる。
ここ高千穂では夜になったら高千穂神社で神楽をやるんだそうだ。
昔からうけつがれる神楽で次のようなものである
『高千穂地方に伝承されている神楽は、天照大神が天岩戸に隠れたおりに、
岩戸の前で天鈿女命が調子面白く舞ったのが始まりとされている。
古来祖先のは永い間この神楽を伝承して今日に及んでいる
毎年11月から翌年の2月にかけて各村々で33番の夜神楽を実施して秋の実りに対する
感謝と翌年の豊穣を祈願するものであります。
その中で4番の舞を公開している
(1)手力雄の舞
天照大神が天岩戸にお隠れになったので、力の強い手力雄命が天岩戸を探し出す為に静かに
音を聞いたり考えたりする様子表現してある
(2)鈿女の舞
天岩戸の所在がはっきりしたので岩戸の前で面白おかしく舞い天照大神を岩屋より誘い出そうと
する舞である
(3)戸取の舞
天の岩屋も岩戸の戸の所在がはっきりしたので手力雄命が岩戸を取り除いて天照大神を迎え出す
舞で勇壮で力強く舞う舞である
(4)御神躰の舞
一名国生みの舞と申しますが、イザナギ、イザナミの二神が酒を作ってお互いに仲良く飲んで
抱き合うようし合い、極めて夫婦円満を象徴している舞である
以上のような舞をここ高千穂の神楽でやっているのだ
最後の舞はちょと下ネタが入ってますねぇ
神楽にもこんなのもあるんだね
走行160k(計370k) 使用金3585円(計10466円)
3月28日(水)
7時起床、昨日の夜にやはり雨がふったのか外が濡れている。
同室の人から鹿児島発の沖縄行きのフェリーは週1便でなく毎日の運行がある航路があるとの
情報を聞き電話してみるとなんとか予約が取れた
29日の予約を取ってあるのでそれをキャンセルしてこちらに乗る事にしよう。マリックスライン
の船だ。琉球海運の方は週1便しかないのだ。
あとから知ったのだが沖縄へいくライダーはだいたい琉球海運を利用するのだそうだ
琉球海運はライダー割引があって少し安いらしい。
高千穂から鹿児島まで約270k。1日でかるく走れる距離だ。約6時間半とよそうされる
高千穂から延岡へ出てR10をひたすら鹿児島へ向けて走る
さすがに宮崎や高鍋では渋滞にはまりちょっと苦労したがなんとか15時半に到着だ
18時に船の出航なのでそれまで鹿児島の街をぶらぶらしていく・・
初めての沖縄である。
走行273k 使用金2870円船代13200円+6300円
3月29日(木)
船の中での朝を迎える。初めての長距離フェリー。航行時間はなんと25時間になる。
丸1日だよね、なんと長い。飛行機だと数時間でつくとこなのだが船なのだ
2等寝台なので広々したとこでのざこねだ。女性男性は関係ない。
この航路は直接に那覇でなくて途中に奄美大島やトカラ列島に停泊する。
沖縄へは飛行機で行く人も多いのだろうが離島へは船が多いのだろうか
値段がぜんぜん違うかだろう。朝の5時半に奄美大島の名瀬に到着。島もでかい。降りる人も
多い。2等寝台の人がガーンと減ってしまった。
またゆれながら眠りにつく
9時半徳之島に着。だいぶ南にきたもんだ。海の色が違う。南なのだが結構寒い。
まだまだ沖縄には時間がかかる。船内アナウンスで船が揺れるので注意してくださいと流れる
窓の外を見ると波が高い。瀬戸内の波とはちがい波形が大きい。外海はさすがだ
そうこう言ってる間に沖永良部島へきた。ここが沖永良部かぁ・・・と甲板にでて島をみる
海の色がグリーンだ。海辺ではあまり波がたっておらず遠いところで白波がたってる
おそらくさんご礁のリーフなのだろう
島はなだらかで急な山がない。南の島という感じがする。14時30分与論島に到着。
与論島である与論島!!この島の南はすぐ沖縄なのだ
ああ、沖縄もうすぐなのだ
海はものすごくきれいだ、目をうたがってしまう
与論島を過ぎてからしばらくして左側に大きな島が見えてきた・・・沖縄本島だ
右にも島がある。伊江島だ。ああ・・・あれが沖縄。こんにちは沖縄
やっときたぜ沖縄。
那覇へ到着したのが19時半。
周囲はまっくらだ。那覇は驚く事にとても都会だ。たかーいビルも立ち並んでる
だれが沖縄の事を田舎などといってるだか
モノレールの工事までやってる。
もうだいたい工事もできてるのでモノレールの開業も近いのだろう
これで沖縄にも電車が走ることになるのだ
なにはともあれ寝るとこを探さなければ・・・
まっすぐ南へいったところに名城ビーチというのがあるので
そちらでテントをはることにした。
走行20k 使用金1988円
3月30日(金)
昨日の走行距離は20kだがなにせ海の上が大半なのだ。
海の上では実に500k以上は移動してる。なにはともあれ名城ビーチでのキャンプ
お初のキャンプになったわけだ。
名の通ったビーチで地図にもちゃーんと乗っている。
後で知ったのだが沖縄本島では俺みたいな
旅人キャンパー達は北部にある瀬底ビーチの方へいくのだそうだ、
無料だからである。
テントをそんなわけではったのだが中々どうしててこずった・・・風が強いのだ。
3月の沖縄はすでにあつーいのかと想像していたのだが
そんなことはない、夜はなかなか寒かった。外人の人がテント張ってた。
沖縄はアメリカ人の基地があるから大変多いのだ
7時起床。あとかたずけをして8時に出発だ。糸満市を抜ける。
昨日もそうだったがここは大変渋滞している・・・道もせまい
バイクには辛い道ではある。バイクのノーズを北へ向ける・・・行き場所は宜野湾だ
なぜ宜野湾なのか・・・俺は昨年(2000年)の夏にひとりの親友を亡くした。
名前は龍馬(HN)という。
彼は沖縄出身なのだが社会人になって本州へきてた人だ。
ひょんな事から俺と友達になった
正直にいって奴ほど俺そっくりなやつはいなかった・・・顔ではなく性格である
なんというか知り合ってそんなに時間がたってるわけでないのだったが10年の付合い、
それ以上かもしれない気の会う奴だったんだ
そんな友人を亡くしてしまった。
彼のお墓が出身であるこの地沖縄の宜野湾にあるというのだ。
そうなのだお墓まいりにきたのだ・・・・
彼の住所は引っ越してしまっていて
連絡が途絶えてしまっていてどうにもこうにも連絡がとれかなかった。
出身はこの地なのは知ってたのだが
ここの住所はわからずじまいなのだ・・・・
せめてもの墓ぐらいまいろうと思ってきたのだ。
墓地をさがせばみつかるかもしれないからだ
可能性は低いが見つかる可能性もわずかにあるのだ
そんな事を思い宜野湾の地図を片手に探す。
宜野湾の街はど真ん中に普天満飛行場という大きな大きなアメリカ軍基地がデーンとある。
ときおり道を軍関係の車が通る。探してあるくのだが・・・・甘かった・・・
沖縄のお墓は本土のお墓とはまったく違ったお墓なのだ。
亀甲墓と言い丸い形のお墓なのだ。これは女性の胎盤を意味してるとのお話らしい
のだ。死んでしまったら母親の中へ、
つまり生まれたもとのところへ帰るのだという話らしい。
そしてこれは○○家の一族がすべてこの中にはいる
のだ。つまり個人のお墓ではないのだ。
したがってお墓には○○家としかかかれないのだ。名字だけでは・・・・どうしようもない・・・
彼の名は本土ではそんなにない姓だったがここではたくさんある姓だったので
その姓のお墓がごまんとあるのだ。
実際にいっぱいある・・・
これという確証はない・・・・
見つけれないまま街をあとにするしかなかった・・・・
お墓があるたびにお祈りをして通り。
最後に宜野湾の街へむけて黙祷をした。
あきらめない。
かならず奴のお墓むつけて線香あげるんだ・・・・・
ふぅ・・・この宜野湾の街はもうひとつSPEEDのhiroの故郷でもある。
ここの出身だ。小学校時代はここで育ったのだ。大山小・・だったかな?
ちょっとわかんないけどそんな小学校だったと思う。
hiroはここ宜野湾。絵理ちゃんは那覇。多香ちゃんは豊見城村。仁絵ちゃんは具志頭村。
それぞれこのちかくの出身だ。
みんなの出身地をまわろう。知ってのとおり俺はSPEEDの4人は大スキである(^-^;
南へもどり那覇へいく。
ここは絵理ちゃんの出身地だね。
大変大きな街だ。モノレールが建設中だ。そっても都会。広島よりも都会だ
誰だ?沖縄は田舎なんていったのは〜(^-^;はっきりいってとってもとかいだ
首里城へ向かう。ここから那覇の街を一望だ。それから南へ行く。
具志頭村へ・・・畑が多い。ここは仁絵ちゃんの出身地だ。
ここでそだったのかぁ・・・なんて思いながら景色をみていく。
平和記念公園へついた。広島にも平和公園はあるがここは広い。
ここ沖縄は日本で唯一地上戦が行われた場所だ。
そしてもっとも過酷で悲惨な経験をしたのもここ沖縄だ。広島も悲惨な経験をしたのでは
負けないくらいだがここもすごい体験をしている・・・・・
記念資料館がある。大きな建物だ。
広島でも記念資料館があるがここでも改めて戦争のものすごさ・・・を感じる。
血で血を洗うような惨状がある。
ここでは写真も手をいれずにそのままで展示してある。目を向けれない・・・
当時の日本の間違った考えによる為の犠牲になった人たち・・・
とても言葉にできない惨状である・・・・次にひめゆりの塔へ向かう。
このあたりはこういった戦争の傷跡を残すものが多い。
沖縄では南部に日本の軍事施設があったために
集中的に攻撃をうけたし激戦が行われ多くの一般人が巻きこまれたのだ
そのなかにひめゆりの塔の話である女子学生がいる。
中学生くらいの女の娘達のお話だ。すべて実話でありそして決して忘れてはならない
話だ。資料館の中でそのひめゆりの中にいた女性が語り部として実際にお話していた・・・
本人にとってとてもつらい・・・
とても悲しい出来事であるのに
一生懸命に後世に伝える為に忘れさせないために語ってくれている・・・
話をするのはつらいはずなのに・・・
思いだすのもつらいはずなのに・・・
聞いてた人は話が終ったときに拍手してた。でも俺はできなかった・・・
語り部の人の眼をみるととても拍手はできないのだ
彼女は悲しい眼をしていました。
あの眼は忘れません。あの頃を語るたびに思い出すのだろう・・・・
過去にここで起こった事実は決して忘れてはならない。
使用金3550円 走行150k
3月31日(土)
昨日は名城ビーチにまた泊まるつもりだったのが急遽気がかわり石垣島へ行く事にした・・・
沖縄をあとにする。
宜野湾での親友のお墓をさがす事ができなかったのが心残りであります
那覇新港からでるフェリーの那覇〜石垣航路の有村産業フェリーにのる。
これがまた中々いい船♪
鹿児島から乗船したマリックスラインの船とはだいぶちがう
なんと個室なのだ、
それもそのはず沖縄航路の船(石垣)は2つあってひとつがこの有村産業であり
もうひとつが琉球海運の航路だ
これは後に知ったことだがライダーはだいたい後者の琉球海運の船を利用するのだそうだ
こっちのほうがライダー割引というのがあって
ちょこっと安くなるのだ船自体は琉球海運のほうがぼろっちいのである。
マリックスと同じく2等寝台の雑魚寝状態の船。
人と話をするのにはこっちのほうがいいのである
那覇新港から石垣島までは14時間だ。
朝10時到着。
ここは観光地だけあってその玄関口たる港はそんな雰囲気がただよっている。
あぁ・・・ここまでやってきたんだなぁ・・・
とにもかみにも右も左もわからない
石垣島の地図を見ながらどこへいこうかと悩んでると
地元のおじさんに声をかけら道を色々と教えてる
キャンプする人間は米原ビーチという浜でキャンプしてるのだそうだ
でもどうやらまだ閉鎖してるそうで入れないそうだ
もうすぐ開場するそうだ
道を教えてくれたこのおじさんは旅館をやってるそうだ
なんだ客引きかよ〜
なんでも新しく一つの部屋をライダーハウスのようにして洋室を畳部屋にして数人でわいわいとできる
部屋に改造してまもないのだそうだ。数日前にできたんだそうだ
そんなわけでまだ誰も泊まっておらず
試験段階ということで料金はいいよというので
これもなにかの縁だと泊まる事にした。
3日お風呂に入ってないしちょうどよいかもだ
ここのホテルはさっぱり客がいないらしい
前のオーナーは夜逃げしたそうだ
建物も古い。
今のオーナーは地元の人かと思えばぜんぜんそうでない
北海道の人なんだそうだ
流れ流れてここへやってきたそうだ
さっそく石垣島をちょっとまわってみる事にした。
バイクを走らす。
さすがは南国石垣島だ、海がものすごくきれいだ
石垣島は人口が5万人。そこそこな人工がいて店も多くコンビニだってちゃんとあるし
モスバーガーとかもある。けっこうな街なのだ
しかしそれは港や空港がある周辺だけのこと
その周辺を離れるとまったくの田舎だ。なーんにもない。
牧草地帯が続き石垣牛が放牧してある
やぎとかも普通にいる
地図をみるとキャンプ場は2つある。
島の北側にあるのが米原ビーチにあるキャンプ場。東側が伊野田キャンプ場だ。
米原は4月初めから12月30日までの期間が使えて伊野田は1月初めから9月の終りまでの期間だ。
つまり今はキャンパーはこちらのキャンプ場にいるわけだ
おせじにもキャンプ場はきれいではない
米原は昔は通年キャンプ可だった
オレの兄貴も旅してた当時はそちらにいったそうだ
いまでもその人達はいるのかなぁ
さらに北へ行くと通ってる道は390号線。
ここは日本で最南端の国道だ
景色は八重山の景色だ
たまにみえる家々の屋根は赤い瓦で覆われていてのどかだ
島の最北端にある平久保岬。
ここの海はすごい、よくパンプレットにあるきれいなさんご礁の海だ
本州では決してみれない景色が広がる・・・
走行100K